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クラウドファンディングを終えて〜 人と人との出会いという偶然をデザインするコミュニティユースワーカー

PIECESで、クラウドファンディングに挑戦していました。
476名の方々の支援をいただき、無事にチャレンジに成功しました。ありがとうございます。
たくさんの方の応援コメント、そして気持ちを頂いて、コミュニティユースワーカーという仕組みを拡大していくために邁進していこう!!と気合いが入りました。

今回のクラウドファンディングを行うにあたり、なぜコミュニティユースワーカーという仕組みをつくることが、虐待や貧困の課題へのアプローチになるのかについて簡単にまとめたので、こちらにも転載。
元記事はこちら

※そもそもコミュニティユースワーカーとは ブログ記事 ホームページ

個人的には、コミュニティユースワーカーという仕組みは、社会課題が複雑化し多元化していく21世紀において重要な仕組みになっていくと考えています。それは、これからの福祉のあり方、行政の仕組みとしても、地域や新しいコミュニティ、教育、、いろんな角度で語ることができると思っています。今回は、コミュニティユースワーカーという事業の背景にあるアプローチ方法について書きました。なぜ、コミュニティユースワーカーが、子どもを取り巻く複雑化する課題のメカニズムを予防すると考えているのかについてです。
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制度的に機会を提供するというものと、属人的にケアやエンパワメントをしていくということの、中間領域を開拓するのがPIECESのコミュニティユースワーカーの役目だと思っています。

 

前者は、機会の平等です。すべての人達に等しく同じ内容を届けるということが目指されます。学校や行政のサービスが代表的なものです。そして、会社やNPOがある種の事業として提供する箱やスケール可能なサービスもこちらに含まれると思います。しかし、特に課題を抱えている子に関しては、どんなものが必要か?どんなタイミングで必要か?はばらばらで、適切な支援にならなかったり、グレーゾーンな状況にある場合は、その機会にたどり着けなかったりします。
後者の属人的な支援は、人が柔軟にカバーすることができる点で、課題を抱えている人に対するアプローチとして適切であるといえます。しかし、良い出会いは偶然に委ねられていたり、時に関係性がうまくいかなくなると途切れてしまったりします(たとえば地域、親戚、友人など)。

どちらも一長一短です。そしてどちらも必要だと思います。
さらに、制度と属人性の間をつないでいくものが必要だと思いました。
だからこそ、コミュニティユースワーカーという仕組みを考えました。

 

コミュニティユースワーカーは、あくまで属人的に、柔軟にそれぞれの関係性を紡いでいきます。
でも、個人と個人だとカバーできなかったり、重い課題には対処しきれなかったりします。そこで、コミュニティユースワーカーという共同体でその課題を共有し対処していきます。それらのサポートを、あくまで市民が行うことで「人と人との関係」であるということを重視します。そして、市民でやるけれども、学び続ける環境にいることで、その関係づくりの質を高め続けること を目指します。

 

これらは、もしかしたら、人と人との出会いという偶然をデザインしていくことにも近いのかもしれません。
たぶん、多くの人は、人生のなかで「お世話になった人との出会い」を持っていると思います。それに近いでしょうか。
たくさんの子どもたちに「出会ってよかったな」と思える人との出会いを届けたい、それがコミュニティユースワーカーを仕組みと展開していく背景にある願いです。

「なんとかなる」社会のための2つの仮説

SmartnewsさんのATLASプログラムにPIECESが選ばれた、という知らせを受けました(なんと広告枠1000万円分)。飛んで喜んだ。しかも、望月さんの書いてくださっている選定理由が涙が出るほど嬉しい。本当にありがとうございます。
http://about.smartnews.com/ja/2016/11/10/a2/

選定理由を読んでいて、いろいろ書きたくなった。
最近、今後の人生計画をつくらなくちゃならないこともあって、自分の目指す先や研究の背景、なぜNPO法人PIECESのスタッフをやっているのかについても書いてみようかなと思って、書いてみました。

 

●どんな環境に生まれても「なんとかなる」社会のための2つの仮説

貧困、虐待、家庭内での課題、学校でのいじめ、障がい…そういった環境が近くにあったとしても、なんとかなって、いつか振り返ったときに(誤解を恐れずに言えば)笑い話にできる、とか、それが1つの個性でもあるような社会であってほしいな、と私は思っています。それが私の夢の1つです。

近代は、個人化が進んだ社会だといわれます。社会と個人をつなぐ紐帯(地域、職業での団体などの中間集団)がなくなってきて、困ったことがあったときに、逃げたり、頼ったりするところが減っている。虐待や貧困によって生じる生きづらさや生活の課題は、こういった逃げ場や頼るところがたくさんあれば、ある程度回避できることです。実際、成功している人は、たくさんのそういったサポートを持っている人だといわれてる。

だとすると、そういった中間集団を再生していく必要がある。
じゃあ、どうやって再生していくか。そのときに気をつけるべきことはなんなのか。
わたしは、今のところ2つの仮説をもっています。

  1. 個人と社会をつなぐ中間集団(紐帯)をアップデートする「人」づくり。

    現代の中間集団の代替として考えられるものとして、地域や血縁に限らない多様なコミュニティが再構成されつつありますが、気をつけるべきことがあると思っています。
    それは孤立したコミュニティ(集合)にならないこと。今回のアメリカの選挙のコメントでもちらほらみられましたが、コミュニティの断絶は結構進んでるんじゃないかなと感じます。ネットは、プルメディアだし、SNSも自分の見たいものしかみなくてよい空間に保つことが可能なので、コミュニティは孤立していきやすい気がします。
    そうなったときに、コミュニティとコミュニティとを結んだり、コミュニティの移動をアシストする「人」の存在が重要になっていくと思います。その「人」は、コミュニティを閉じたものにしないためにも、そして、そこから抜け出したい人や、コミュニティを変えたいと思っている人のためにも必要だと思います。

    →これを実現する「人」が、コミュニティユースワーカーだと思っています。
    荒井さんに出会って、荒井さんの活動からこの事業をつくりましたが、これが1つの背景にあります。

  2. 人間の主体性を奪わない環境(コミュニティ)をデザインすること

    イリイチという社会思想家は、産業主義的な社会の課題として、人が道具の奴隷になっているということを指摘しました。それはつまり、教育でいえば「学校」という制度(道具)によって、人が本来持つ「学びたい」「学ぶ力」というものが発揮されなくなっているということです。医療であれば、健康維持を自分たちでやらなくなり、薬に頼ることになる。福祉だって同じで、支援への欲求不満になり、自分から主体的に動く力を発揮する場所がなくなる。

    上述した新しい中間集団をつくるとき、この点に気をつけなければならないと思います。
    (→このへんも、コミュニティユースワーカーの機能が必要なところだと思う。)

    じゃあどうしたらいいのでしょうか。これは結構難しいと思っています。というのも、主体的な学習とかっていうと、好きなことをさせる、とかいいますけど、どうやって興味関心を育むか?、継続的に主体性を発揮し続けさせるにはどうしたらいいか?、興味関心を次のステップ(仕事も含め)に繋げるような仕組みは?、そもそも関心のない人がどうしたらいいのか?などなど、まだまだわからないことが多いと思っています。
    そもそも、主体性ってなんやねん、って気持ちもありますし、主体性はタイミングの問題な気もする。。

 

だから、そこに関して、私は研究をしていきたいと思っています。子どもも含め、人が積極的に学ぼうとする態度が立ち現れるような環境と個人の関係ってどんななのだろうか。その秘訣を明らかにしたいなあと思っています。
ということで、修論では、学校外で中学生〜大学生が学ぶ趣味コミュニティ(テクノロジークラブ)における学習の調査をしています。
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・・・そうです、今は11月も半ばになってきました。修論を書き上げねばなりませんね。がんばりましょう。

【転記】2014夏休み

こちらの記事は、研究室のブログの転記です。

 

秋をまたいで冬にさしかかっておりますが、【夏休みの過ごし方】について、振り返ってみようと思います。

 

M1は、M2の方々のように実践や開発など大きな研究イベントがありません。
何を書こうかしら…と思いながら、夏休みを振り返ってみたところ、「まち」というキーワードが浮かんできたので、その方向で書きたいと思います。

 

入学当初の春頃、私は「居場所」というキーワードで先行研究をみたりしていました。
「居場所」はとても曖昧な言葉なので、使われる文脈によって意味はさまざまですが、主に「心」を重視するタイプと「場所」を重視するタイプに分けることができます。
「心」を重視するタイプは、心理学の分野で用いられており、本人が「居場所がある」と感じることができればある意味どこでも「居場所」になり得ると言えます。「場所」を重視するタイプは、建築や都市工学などで、まちのソフトの側面に着目したコミュニティデザインなどで用いられたり、公園などの公共の場づくりの文脈で用いられたりもします。私の研究としては「心」の居場所の方が近いのですが、個人的には「まち」にも興味があり、夏休みはそのようなワークショップに参加したり、ワークショップを実践したりしました。

 

そのなかのひとつは、大学院のリーディングプログラムの一環で行われた「東京の2030年を考える」というワークショップです。
このワークショップはなかなかヘビーで、事前準備を数日かけて行い、その後2日間のワークショップを行うという構成でできています。事前準備では、まず、それぞれテーマごとにグループを編成し、そのグループごとに先進的な事例を視察します。テーマは、リノベーションや農業の住まいの話、都市開発など多岐にわたっていました。私は、ものづくり×場所、貧困×住まいというテーマで、FABLABなどにお話を伺いました。
そして、ワークショップ当日は、それぞれの事例を報告しあい、ディスカッションをしながら議論を深めていきました。豊富な事例が紹介され、さまざまな視点から「東京」を考えるとても濃密な時間を持つことができたように思います。さらに最終的には、東京の2030年のあり方に関して提案をするところまで行いました。
ディスカッションをしていくなかで「まち」というものは本当に多様なステークホルダーを持っているが故に、
それらの意見を収集した上である一定の方向性を探りつつ、多様性を残していくということは大変だな、ということを改めて感じました。

そんなようなワークショップに8月に参加し、9月は自分自身がワークショップを実施しました。

 

これは、「メディアリテラシーについて学ぶワークショップをつくる」というお題のもと、チームをつくり実践を行うという大学院の授業の一環で行いました。私たちのチームのワークショップは、「まちのパラレルワールド!?〜顔出しパネルワークショップ〜」というものです。ざっくり言うと、「まち」のイメージというものがいかに生成されているかを学び、「まち」のイメージを表すような顔出しパネルをつくるという内容です。

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実践までは紆余曲折ありましたが、当日はなんとか実施することができ、実際につくった顔出しパネルを池袋にもっていき記念撮影も行いました。
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このワークショップのポイントである顔出しパネルをつくるためには、その「まち」のさまざまな要素について考える必要があり、さらにそれをひとつの制作物に落とし込まなくてはなりません。実はこの議論と制作の過程は、まちづくりの話し合いで必要なものと通ずるところがあるのかもしれないな、と今になっては思ったりもします。

と、いうことで、研究以外ではこのような活動をして過ごした夏でした。
これから日本は、超高齢社会に突入し、少子化が進み、空き家が増え続けていくことでしょう。そんな未来を考えるためにも、個人的な関心事として、まちづくりにはこれからも目を向けていきたいと思います。
そしてそして、来年の夏休みは研究に捧げることになるでしょう!

ごきげんよう!

青木翔子